プロフィール
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林 晃弘 (はやし あきひろ)
霊性カウンセラー
兵庫県尼崎市生まれ
・レイキ サードディグリー修了
・日本メンタルヘルス協会公認 基礎心理カウンセラー
・NLPプラクティショナー相当コース修了
・スピードコーチング社 MOVE認定コーチ
もくじ
●はじめに
スピリチュアル業界に属する「カウンセラー」や「セラピスト」のことを「ライトワーカー」(光の仕事人)と呼ぶことがあります。
ライトワーカーが向き合っていくのは、「クライアントの人生」です。
それだけにライトワーカーの人間性が深く問われることになります。
実際にこの業界のホームページをいろいろ拝見していて気づくことは、
カウンセラーやセラピストの顔写真があまり掲載されていないことです。
あるのは「蓮」や「バラ」の写真だけ、という場合が少なくありません。
また、経歴や職歴も非常に簡潔なものが多いように感じられます。
それによって特殊な能力やスキルがあることは理解できます。
ただそのライトワーカーの人となりまでは、なかなかわかりません。
実際に私が自分の目的に合ったセッションを探していたとき、
ライトワーカーの十分な情報が得られず困ったことがあります。
(今はオーラが見えるので、ある程度までは感じることができます)
こういう体験が過去にあったのを踏まえて、このホームページでは
私の顔写真とともに、経歴を詳しく述べさせていただくことにします。
当初はこの10倍ほどの文章量だったのですが、あまりに長いので
誰も読めないのではないかと思い、ポイントだけ残した次第です。
それでも通常の経歴よりは長いと思いますが、私のセッションを
ご検討されている方は、必ず一度はお読みになってください。
私がどんな人間なのか、なんとなくでもご理解いただいた上で
セッションにお問い合わせいただけたら幸いです。
「霊的な能力がある=人間として素晴らしい」のは間違いです。
いわゆる「霊能者」と呼ばれる種類の人間も「普通の人間」です。
私もまた、限りある肉体を持って生きる、欠点を抱えた人間です。
この世を生きる喜怒哀楽を日々味わい、ときには自分の未熟さを
思い知り、ただただ天を仰ぐ以外に為す術のない瞬間もあります。
しかしながら、思春期の頃から「人間はいかに生きればいいのか」
を問うて歩み、その途上で天佑によって与えられた霊的な能力を
「これが自分の天命なのだ」と受け入れ、今の活動に携わっています。
●幼少~中学時代 「いじめとコンプレックス」
兵庫県尼崎市生まれ。幼児のころは、あまり泣かなかったようだ。
一人で遊ぶ内向的なタイプだったらしい。
母からは「そんなに手がかからない子だった」と聞いている。
現在でも、一人の静かな時間が一番好きだ。
少年時代は、どこにでもいる普通の子ども。
(霊的な能力が発現するのは、まだまだ先のこと)
小学校の勉強の成績は、クラスの中では真ん中ぐらい。
算数が得意、とりわけ暗算が好きだった。
体育の授業、とりわけ球技は苦手だった。
50メートルの徒競走も長距離のマラソンもクラスでは
下から3番ぐらいだった。
運動会では走るのが早い子がうらやましかった。
そういう子がクラスではモテたからだ。
運動音痴だったが、スイミングスクールには通っていた。
水泳だけは人並み以上にできたので、得意な顔をしていた。
(おかげで中学も高校も水泳部に所属していた)
高校の水泳部で猛烈にトレーニングするまでは肥満体だった。
これが原因なのか高校に進学するまでは、いじめに遭っていた。
生意気な性格もその原因となったのだろう。
力のある人間に対し、羊のように従順になることはできなかった。
殴られることはときどきあったが、それだけではなかった。
今でも覚えているのは、上履きの中に押しピンを入れられたこと。
もちろん針は上向きだ。ズブリと刺さるかと思うと、そうではない。
熱いヤカンを触ったとき反射作用で思わず手を引っ込めるように、
このときも突然の痛みに足を引っ込めた。
他には校庭での焼き芋で使っていた熱いトングの先を首筋に
押しつけられたことだ。大泣きした。K君の冗談半分のいたずら。
後で先生にこっぴどく叱られていた。
今となっては「弱い人の気持ちがわかる」良い体験だったと思うが、
当時は非常に辛かった。
心が荒まずに済んだのは、私を守ってくれた母の愛ゆえだろう。
私をいじめた子の両親に「何とか仲良くしてくやってください」と
家まで話をしに行ってくれたことを思い出すと、今でも涙がにじむ。
中学校のとき、大阪府池田市に引っ越す。
中2のとき、池田市主催の標語コンクールで最優秀賞を取る。
才能なく表彰など受けたことがなかったから素直にうれしかった。
中3のとき、高校の受験対策で通った塾で、素敵な先生に出会う。
美人で気立てのいい数学の先生だった。
質問しに行くと、その美人の先生が丁寧に教えてくれる。
根が単純なのか、勉強がとても好きになった。
いじめや太っていたことによるコンプレックスがあった。
しかしいい成績を取れば一発逆転できることに気がついた。
無意識にコンプレックスをバネにして受験勉強を頑張った。
おかげで学年の真ん中ほどの成績は、10番以内をキープ。
その勢いで、大阪府内では有数の進学校へ進学。
これ以来、いじめはなくなった。
●高校時代 「挫折と人生への問い」
将来への期待に胸を膨らませて入学。しかし、1年生からすでに受験勉強が始まっていた。
高校受験のときはただ楽しくて勉強していたが、
ここにきて、はたと立ち止まってしまった。
「いったい人は何のために学ぶのだろう?」
これが最初の自覚的な「人生への問い」だった。
親や先生や友人に「学ぶことの意味」を問う。
「そんなことを聞く暇があれば勉強しろ」
「それって勉強が嫌だから言うんとちゃうの?」
「それは大人になってみれば分かるんや」
「ええ大学に行かんとええ会社に入られへんぞ」
満足のいく答えは、どこにも得られなかった。
残念ながら真剣に人生を考えている大人が周囲には
少なかったからだ。そういう人たちも進路に悩んだことは
あっただろうに、どうして問いを忘れてしまったのだろうか。
少数の心ある先生はこう言ってくださった。
「それを問い、自分なりの答えを得ることが大切なのだ」
私と同じような悩みを抱え、いまだ求めている方だけが
当時の私に共感してくださったのだと思う。
私が本当に欲しかったのは「人生の答え」ではなく、
「悩みへの共感」だったのだろう。
(それがカウンセリングの原点である)
すでに勉強はとても嫌いになってしまっていた。
「少なくとも受験勉強の中に真実はない」と思った。
成績は学年360人中340~350番ぐらいだった。
自分より成績が悪いのは、登校拒否か精神疾患で
まともに勉強できる状態ではない人たちだった。
勉強を捨て、哲学や宗教や人生論などを読むようになる。
しかし難解な哲学はさっぱりわからないし、人生経験が
乏しいため浅いレベルでしか理解できなかった。
学校をはじめ、社会への苛立ちがすごい募っていた。
後に社会人になって恩師を訪問したとき、「あのときの林君は
ナイフのような目つきをしていたよ」と言われたぐらいである。
しかし、高校の水泳部の練習に無心に打ち込むことで鬱積した
エネルギーを昇華していたのだ。
プールサイドと図書館が当時の自分の居場所だった。
なんとなく大学に行きたいとは思ったものの、
受験勉強に取り組みたいとは露ほども思わなかった。
結局、進学率99パーセントの中、残り1パーセントの道を選ぶ。
高校卒業後、フリーターとして毎日アルバイト暮らし。
試しに日雇い労働をやったが、体力がもたなかったので、
家具卸の在庫整理と配達のアルバイトをしていた。
このときの職場で有名な銀行をリストラされた人や、
会社の出世から外れて左遷されてしまった人や、
司法浪人を何年も続けるうちに自分を見失った人や、
ヤクザの息子で「暇だから働いている」人など、
いろんな人生模様を目の当たりにした。
給料のほとんどは書物の購入費用に充てていた。
●家出時代 「孤独と心の病」
そのうち両親、特に父親との葛藤が激しくなった。フリーターとして生きる息子が不憫に思えたのだろう。
「早く将来を決めろ。その日暮らしをするなら家を出ろ!」
考えた末、家出を決意する。
将来の展望など、何もなかった。
東京に出る。
住み込みで新聞配達のアルバイトをする。
朝2時起きの生活が始まった。
最初は大変だったが、そのうち慣れてきた。
しかし、自分の生きる目的を見いだせないままの家出。
仕事用の携帯しかなく、友人とは一年以上音信不通。
次第に心を病み、過食症、円形脱毛症になった。
体験的に言うと、過食症は「自分への愛の欠乏感」から
起こるように思う。動けなくなるまで食べてしまうのだ。
お腹を満たすことで疑似的かつ一時的に愛は満たされる。
しかし満たされるのは一瞬だけで、欲望は止まらないので、
限界を超えて食べ続ける。吐いてすっきりしたらまた食べる。
力が尽きて動けなくなったら、その場で寝る始末である。
仏教で言う「餓鬼・畜生」の世界とはこのことかもしれない。
いくら物質を求めても、永遠に満たされることは地獄の世界だ。
そこを脱するには精神性の満足を目指すしかないのだが、
当時はまだ自分が何をしたいのかさっぱりわからなかった。
知識はたくさん頭に詰め込んでも、いざというときには何の
役にも立たない。蟲(むし)のように吐き気で這いずり回る
自分が情けなかった。そして、その情けなさがまた欠乏感
を生んで過食に至る負の循環を繰り返していた。
また、思い通りに安定してくれない東京での人間関係。
高校までの友人の電話番号は全く知らなかったし、
実家に電話してまで聞きたくはなかったので、孤独感は
かなり募っていた。
ある日、「やけに抜け毛が多いな」と思って髪を触ると、
バラバラと毛が落ちるので「まさか…」と一瞬凍りついた。
髪の根元から引っ張る度に、指の間に毛が挟まっていた。
500円ぐらいの円形脱毛が二か所できた。
「これが円形脱毛症か…まさか自分がこうなるとはな」と
妙に冷静な気持ちだった。そして、妙な安堵感を覚えた。
「誰も東京の片隅に棲息している自分のことはわからない。
しかし、このからだだけは正直だ。誰もわかってくれないが、
このからだだけは自分のことをわかってくれている…」
そういう不思議な落ち着きを持って自分を客観視していた。
これが職場に知れたらまずいと思い、100円ショップで買った
髪の毛用のマジックのようなもので黒く塗ってごまかしていた。
しかし、転機はやってきた。
ある朝、新聞配達の途中で、牛乳配達の軽トラックと衝突。
右の鎖骨を折り、そのまま病院に入院、そして手術。
家を出てから一年が過ぎようとしていた。
事故した瞬間、なぜか両親の顔が思い出された。
「出来の悪い息子で申し訳ない」と、救急車の中で泣いた。
退院した翌日、たまたま高校の恩師から連絡があった。
この恩師にだけは社用携帯の連絡先を伝えていたのだ。
ほとんどの先生が信頼できなかった中で、この恩師は
私の悩みをよく聞いてくださったので、強く信頼していた。
事情を説明すると、恩師はただ一言、
「とにかく帰ってきなさい」としか言わなかった。
その鶴の一声で、実家へ戻ることを決意。
実家の母親に「帰るわ…」と電話した。
電話越しで、母はただ泣くだけだった。
大学なんて行かなくてええから…
あんたが元気でいてくれたらそれでええから…
久々に実家へ帰った。
家の中が、なぜかとても光り輝いて見えた。
今でもその光景は鮮明に覚えている。
一番帰りたくなかった場所が、
実は最も帰りたかった場所だったのかもしれない。
心身はボロボロの状態だった。
生ける屍のようだった。
何も考えず、しばらくテレビゲームに浸っていた。
●大学時代 「霊性への道へ」
そのうち少し心にゆとりが出てきた。「やっぱり大学へ行きたい」と思った。
しかし、受験勉強は依然として嫌だった。
ただ、何も考えないで社会に出ても、また同じ過ちを
繰り返してしまうと思った。とりあえず考える時間が欲しい。
あまり勉強はせず、とりあえず受かった大学に進学した。
大学にはほとんど出なかった。
周りより少し年上だったためか、話が合わなかった。
同学年のほとんどが、まだまだ子どもに見えた。
そして授業は実にくだらなかった。
「学問」というものに多少憧れはあったが、見事に裏切られた。
期待を捨て、バイト三昧の大学生活を送る。
大学1年生で好きになった子に告白するが、あえなくフラれる。
あきらめが悪くあと2回告白したが、やっぱりダメ。
しつこ過ぎたのだろう、それから無視されるようになった。
父が家で吹かすタバコの煙がとても嫌いだったのに、
失恋後の自暴自棄で自分もタバコを吸うようになる。
このあたりからスピリチュアル系の本を積極的に読むようになる。
前から宗教書は読んでいたが、さらに一歩踏み込むようになる。
あのときの事故で入院し、退院した直後に恩師から連絡があった。
病院では携帯が使えないので、少しでもタイミングがずれたら、
連絡は来ず、まだ東京でくすぶっていたのかもしれない。
「この運命の不思議とはいったい何だろうか?」
「人間は何かに導かれているのではないだろうか?」
いま振り返るとこれは「シンクロニシティ」という現象になるが、
当時はこの「センスオブワンダー(不思議の感覚)」だけがあった。
この問いが「霊性への道」に進んでいくきっかけになった。
瞑想や祈り、レイキヒーリングなどを本格的に学ぶ。
タバコにレイキを施すと味がとても薄くなるのが楽しかった。
「すぴこん(スピリチュアル・コンベンション)」にも通った。
パワーストーンを身につけたりもした。
このときは「神はたぶん存在するのだろう」と思っていた。
子どもの頃から空を見つめるのが好きだった。
「空の向こうには何があるのだろう?」とぼーっと考えていた。
この「無限なる存在への憧憬」は子どもの時分から感覚的に
持っていたように思う。
それが「守護霊」とか「守護天使」とか「ハイヤーセルフ」などの
言葉を本を通じて知ってから、「たぶん存在するのだろうな」と
証拠はないけれども、なんとなく信じるようになっていた。
霊的な能力を得る前に、こうして学ぶ時期が必要だったと思う。
大学3年生のある日、バイト仲間に声をかけられる。
「毎年何千人も学生に会っている熱い社長がいるらしいで」
その社長の就活セミナーを聞いて「すごい熱い人だな」と思い、
その社長の会社が運営している就職活動支援サークルに入る。
同じ学生に対し、中小企業の合同説明会を案内する。
企画、運営、集客など、いろんな仕事があった。
幅広い活動をするインターンシップ型のサークルだった。
個性的なメンバーが多く、非常に楽しかった。
自分の大学では人生について語り合うに友人がいなかったが、
ここでは意識の高い人間がたくさんいて、非常に刺激を受けた。
気がつけば活動に打ち込むようになり、大学4年生の5月には
大阪開催のイベントスタッフ約80人の統括リーダーになる。
めちゃくちゃ大変だったが、なんとかイベントを成功に収める。
その後、活動で知り合ったある社長さんに声をかけられる。
その方の紹介で就職活動をまともにせず、某メーカーに入社。
就職した理由は「ご縁を感じたから」である。
事故をしたときに感じたシンクロニシティから、運命というものは
「流れ」があるのではないか、となんとなく考えるようになっていた。
そうであればその流れに乗ればいいのだ、と思った。
(この後で「数秘学」に出逢い、流れる運命への理解を深めていく)
●社会人~現在 「天命への歩み」
その企業が東京だったので、特に何も考えずそのまま上京。「そうか、また東京で仕切り直しなんだな」という気持ちだった。
入社した企業では営業に配属。
卸業者と飲食店をメインに新規開拓を行う。
入社してすぐ、同期の女性を好きになる。
そのまま付き合うことになったが、すぐに浮気される。
なんと浮気相手は同じ会社の入社して数年の男性だった。
社内恋愛の失敗は、精神的ダメージが相当大きい。
言葉にできないほどの絶望感と無力感。
数年前の過食症と円形脱毛症も相当苦しかったが、
種類は違えど、比較にならない辛さを味わっていた。
そんな時、現在は兄弟子として仰ぐ方と出会う。
その方から「遠隔ヒーリング」を受ける。
「遠隔ヒーリング」を受けたのはこれが初めて。
それから祈りや瞑想、スピリチュアルなワークに打ち込む。
・・・私の「修行」は、滝行や断食行ではなかった。
どうしようもない失恋の苦悩を乗り越えること。
どうしても赦せない人を、それでも赦すということ。
これがこれまでの自分における最大の修行だった。
このころから心理学にも本格的に興味を持ち始めた。
社員研修で受けた「NLP」のある心理ワークを通して、
5年間吸い続けたタバコが1日でやめられるようになる。
やめたくてもやめられなかったタバコが、たった1日で・・・
これはいったい、どういうことなんだ!
心理療法の可能性に衝撃を受けた。
以後、積極的に学ぶようになる。
これが現在のカウンセリングに生きている。
しばらく祈りと瞑想を続けたある瞬間、
「私は神様に愛されている!」という感覚が全細胞から湧き、
「号泣」という言葉を超えるほどの歓喜の涙を流した。
人間の愛は求めても得られないことがある。
実際、自分は愛する人から見向きもされなかった。
しかし、神様は、いつも私たちを深く愛しておられるのだ。
ある日、「いつか霊的な道へ行きたいな」とふと思った。
それは外回りの営業の途中、ローカルな「京成高砂駅」の
ホームで電車来るのを待っているときだった。
突然「待ってたぞ!!」と<声なき声>が頭に響きわたる。
非常にびっくりした。
これは何だ?
何かの錯覚か?
当時ははっきりわからなかった。
ただ、これ以降、霊的な道をより意識するようになった。
この<声なき声>は、実は守護霊からのひびき(思念)だと
分かったのは、まだ少し先のことである。
尊敬する方に相談したところ、「いつか林さんはそういう道に
行きますよ。霊的なことを広く伝えていくのでは」と言われる。
「いや、私は別にオーラとか霊とか見えないんですけど」と聞くと、
「願えばそのうちできるようになりますよ」と言われる。
「願えばできるって、そんな・・・」と思ったが、とりあえず友人を
つかまえて「オーラの色」を見てみる。
すると、なんとなく「色」が浮かび上がってくるではないか。
ただ、このときは半信半疑で、まだよくわからない。
「じゃ遠隔ヒーリングをやってみるか、以前レイキも勉強したし」
そう思って友人にエネルギーを送る真似ごとをしてみると、
「足がなんとなくピリピリしたよ」と言うではないか。
「よくわからないけど、自分にもできるのかなぁ・・・」と
戸惑いながら、その後たくさんの友人知人に声をかけて
オーラを見たりヒーリングをしたりする。
そのうち「過去世らしきもの」も見えるようになる。
自分ではよくわからないので、その道の尊敬できる人と
答え合わせをする。
「そうです、よく見えてますね」というフィードバックを
いただきながら、手さぐりで霊的な能力を開発する。
自殺した霊を浄化したり、あやしげな霊感グッズを
引き取って浄化したり、人生や恋愛の相談に乗ったり、
守護霊と対話したり・・・
その手探りの途中で「カバラ数秘学」の先生に出会う。
滝や海で修行したり、日々祝詞や般若心経を唱える
修行僧のような先生から、数秘学を教わる。
霊的な世界は目に見えず耳にも聞こえない領域だが、
数秘学は名前や生年月日という客観的なデータを使うから、
霊やあの世がわからない方にも伝えやすいのではないか。
そう考え、カウンセリングの中に数秘学を取り込んでいく。
最初は無料でオーラや過去世を見ていたが、そのうち
「有料のカウンセリングでも構いません」という方が出てくる。
これをきっかけに、独立に向けて準備し始める。
また、いきなりカウンセリングは敷居が高いと思ったので、
数秘学をメインにセミナーを開催するようになる。
セミナーの中に霊的な内容を盛り込み、見えない世界への
理解と関心を高める工夫をする。
活動の時間を捻出するため、最初に就職した会社を退職。
残業の少ない会社に転職し、ダブルワークで活動する。
朝から夕方まで働き、その後はセッションか勉強の日々。
2011年の正月明け、「プリズムライフ」設立。
現在に至る。
●さいごに
改めて自分のたどってきた道を振り返ると、非常に不思議な感じがします。
霊的な能力は得ようと思って得たのではありません。
そうなるべくしてなったのだろうと受け止めています。
(安易に求めるのは危険なのでおすすめしません)
もうお分かりのように、私は決して優秀ではありません。
不器用ゆえに、遠回りをしてしまいました。
しかしそれは、現在カウンセラーとして生きるために
与えられた必要事項だったのだろうと思います。
とはいえ、いろんな方に接してきてわかったことは、
世の中には私よりはるかに苦労している方が
実にたくさんいらっしゃることです。
ですから、この場を借りて私の過去の歩みを語るのは、
己の小ささが露呈されるので、かなり恥ずかしいのです。
でも、カウンセラーとして生きていく以上は、自分を
さらけ出して正直に生きる他はないと思っています。
神仏が好むのは、美しく善業を積む人間だけではありません。
悩み苦しみながらも、あきらめず答えを求めていく人間に
神仏はそっとたさしく手を差し伸べてくださるようです。
霊的世界は、目には見えません。
現代科学で証明することはまだできていません。
しかし、いつの日か高次元の科学が誕生します。
そのとき霊的世界も解明されていくことでしょう。
私は、霊的真理によって救われた人間の一人です。
しかし、霊的真理が絶対なる真実ではないと思います。
この世界にはいろんな思想や価値観がありますので、
あくまで霊的真理はそのうちの一つになります。
ただ、もし私の体験や学んできたことが何かのお役に
立てたらうれしいなと思って、この仕事を始めました。
少しでも感ずるものがある方は、今後セッションや
セミナーなどでお付き合いいただけたらと思います。
何卒よろしくお願いいたします。
林 晃弘 拝

